総合出版社として多数の雑誌や書籍を世に送り出している集英社。特にマンガは、『週刊少年ジャンプ』『マーガレット』などの雑誌を媒体として数々のヒット作を生み出してきた。そのマンガの原画をアートに昇華させ「マンガアート」として販売する新事業『SHUEISHA MANGA-ART HERITAGE』が、2021年に始まった。世界中のマンガを愛する人に、日本文化の最高の創作物を届けるこの事業に、国際エクスプレスのDHLが一役買っている。この事業を統括する集英社デジタル事業部の岡本正史氏と、絵画などのアート作品を世界販売するベンチャービジネスを立ち上げたTRiCERAの井口泰氏に話を聞いた。
大英博物館で開催されたマンガ展が事業のきっかけに
早くからマンガをデータとして残していくことに取り組んできた岡本氏の集英社デジタル事業部では、マンガの芸術性にいち早く気づいていた。 例えば、『イノサン』(坂本眞一・作)を例に、岡本氏は説明をする。
「これはカバーの絵なのですが、細かい部分、ここに血しぶきが飛んでいるとかいった細かいところはコミックスサイズでは見えないんです。この絵を小さなサイズで見るだけではもったいない、こういう絵は別の形で世に見せた方がいいのではないか、とずっと思っていました」
そんな思いを後押しする大きな出来事があった。2019年にロンドンの大英博物館で行われた、マンガをテーマにした企画展 「The Citi exhibition Manga」だった。同博物館の企画展として多くの来場者数を記録したという。
アナログの技と最先端テクノロジーの融合
原画をアートとして輝かせる
これより以前も、マンガの「複製原画」の販売は昔から行われていた。それらは低年齢層のファンが主な対象であり、通常は額とセットで2万円~3万円程度という価格が中心だった。しかしこの「マンガアート」はその複製原画とは一線を画している。
まず原画をPhase One社(デンマークに本社を置く高品質デジタルカメラブランド)のカメラで撮影し、次に修復を施す。例えば『ベルサイユのばら』は1970年代の作品である。多くは紙に水彩で描かれるマンガ原画は劣化しやすく、ひび割れやシミ、色の退色を修復する必要がある。
また、写真のモノクロの『ONE PIECE』のプリントは、活版印刷によるものだ。20世紀後半、DTPに取って代わられた古い印刷技術のため、大きなサイズを刷る機械は日本にほとんど残っていないという。長野県で、高齢の印刷技師の技術と知見を生かしながら刷っている。「始めてみたものの、アナログの要素がとても多いんです」と岡本さんは苦笑する。
印刷する紙はドイツ・グムンド社の100%コットンの最高級のものを使う。収納する布張りの箱は、手作りを生かした製本の会社である美篶堂(みすずどう)に依頼した。
一方、作品が「正規品」であることを証明するために、ブロックチェーンという最新のデジタルテクノロジーを採用している。作品の情報、売買などの履歴がデータとして保存され、閲覧できる仕組みだ。
このように、最高レベルの熟練の技能、最新テクノロジー、そして最高級素材を惜しみなく注ぎ込んだのが「マンガアート」なのである。
アートを世界中に販売するTRiCERA社の協力
「マンガアート」の第1回の販売では、日本だけではなく、アメリカを中心にイギリス、シンガポールなど海外の購入者も多かった。海外販売に関して、コンサルティング契約を結んで手を貸したのが、株式会社TRiCERAの代表取締役社長である井口泰氏だった。「当社は日本のアーティストを世界に売り出す会社、と思われがちなんですが、我々の視点は常にグローバルで、どの国のアーティストの作品を、どの国の人が購入できてもいいじゃないかと考えているんです」と井口さん。同社は世界80カ国以上の絵画・彫刻などのアート作品をオンライン販売するビジネスを立ち上げている。岡本氏は、海外販売に向けて井口氏の情熱とノウハウを頼りにした。
井口氏の助言を得て、岡本氏はDHLをパートナーに選んだ。「高額商品ですし、お客様の手元にちゃんと届いて受け取っていただき税金まで払っていただかないと完結しないので、そこまでフルサポートしてもらう必要がありました。」
集英社では、海外からの問合せに対応するため、電話やメールの窓口も厚めに準備したが、配送に関する問い合わせやクレームはほぼゼロで、規模を縮小したという。ビジネスを始める前のサポートも役に立ったという。「美術品の海外でのマーケットや通関事情について調べて、的確なアドバイスをもらいました。梱包などについても相談に乗っていただき、四隅と上下に発泡スチロールを入れようとか、税関での開封検査を想定した仕様なども相談させていただきました」
今日急速な普及を見せる越境EC(海外のオンラインショッピング)において、DHLのプレゼンスが高まっている要因は、こういうところにもあるのかもしれない。
マンガ文化を後世に残すこととマンガ作家を支えることも事業の目的
一般社団法人アート東京の「日本のアート産業に関する市場調査2019」によれば、2019年度の日本の美術品市場が2580億円だという。それを参考に試算し、「マンガアート」の市場は今後5年で100億円規模になるポテンシャルがある、と岡本氏は考えている。
集英社はヒット作が続いたこともあって、マンガ、とくにデジタル版が好調である。とはいえ、コミックスの各タイトルの紙の初版部数は減ってきており、中堅層や新人がマンガを描くだけで生活基盤を作るのは難しくなってきている。だからこそ、「マンガアート」は通常の出版物より印税率を高くし、中堅や新人作家にも還元できる仕組みを目指している。古い原画を保存しマンガ文化を残すこと自体も事業の目的の一つとしている。
8月には大暮維人の作品も加わる。現在、講談社の『週刊少年マガジン』で『化物語』を連載し、人気を博している作家だが、集英社でも『天上天下』などのヒット作品を発表しており、同じ8月に画集が両社から同時出版された。その後も数か月おきに新しい作家の作品が加わっていく予定だ。
「これからもっと認知度を上げていかなければいけないと思っていますが、一度に人が来すぎても点数には限りがあるので、急に話題になってすぐに忘れられるのではなく、徐々に成長していきたいと思っています」と岡本氏は、マンガアートの将来を見据えていた。